島正

味噌おでん・どて焼き・どて飯など名古屋グルメの老舗|昭和24年創業 どて焼き 島正

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島正の歴史

今も昔も、皆様より愛された『島正』

今も昔も、皆様より愛された『島正』

 

当店は昭和24年に、屋台「きむらや」として、ここ名古屋の地で創業いたしました。

こちらでは創業当時から今日までの、当店の歴史についてご紹介いたします。

※下記文章は当店のご紹介を頂きました、株式会社 角川クロスメディア 発行『東海 大人のウォーカー 2006 7月号』より抜粋させて頂きました。

 

1.どて焼きが名物の島正の前身は広小路通の屋台

1.どて焼きが名物の島正の前身は広小路通の屋台

▲初代 きむらや店主の喜邑 信彦さん

 

1.どて焼きが名物の島正の前身は広小路通の屋台

▲屋台から顔をのぞかせるきよ子さん。
屋台時代のメニューには中華そばもあった。

 

 

「うわあ、いっぱいだ。入れるかな?」

入り口の引き戸を開けた客がひと言。

すると「はいはい。ここに座って」と先客が席を詰め、
「いらっしゃい。すいませんねぇ」と店主が頭を下げる。

カウンターのみの店・島正にはなんとも心地よい一体感がある。現在この店は、2代目の喜邑定彦さんが、妻の和子さん、息子の竜治さんと家族水入らずで切り回している。

アットホームな雰囲気が店全体に流れていて、肩を寄せ合って飲む客の姿は屋台を想起させる。

それもそのはず、島正のルーツは屋台なのだ。

定彦さんの両親、信彦さん(故人)・きよ子さん夫妻が、島正の前身である屋台、きむらやを創業したのは昭和24年(1949)のこと。

「主人は会社員だったんだけど、戦争の影響でお給料も少なくてね。これじゃ暮らせないからって店を始めたんです。私は料亭で女中頭をしており、接客のたしなみもありましたし」

いまは隠居の身であるきよ子さんが当時の思い出を語り始める。

 

2.寝る暇もないほど繁盛!屋台最盛期を迎えたころ

「屋台を出すには道路許可証が必要でね。これが手に入らなくて困っていたら東京銀行の課長さんが、うちの軒下を使いなよって。いまじゃ考えられないでしょ?」

銀行の好意を受けたきむらやが2つの屋台をつなげた店を出すと、このスタイルが受けて大繁盛。

「2台つながった屋台はうちだけ。15人は座れたから目立ってたね」

ところがこれがほかの屋台の嫉妬を生み、数々の嫌がらせに遭った。

「仕入れ素材を盗まれたり、道路許可証の件で警察に通報されたり・・・」。

結局、警察の指導で屋台を移動せねばならないことに。
運よく靴屋から道路許可証を購入できたため、以後は広小路伏見の北東側で営業することになった。

「栄から柳橋まで400軒近くは並んでいた」という広小路通の屋台が最盛期を迎えたのは昭和35年(1960)ごろ。

 

2.寝る暇もないほど繁盛!屋台最盛期を迎えたころ

▲東京銀行の軒先を借りていた創業時
左端がきよ子さん、その隣が初代の信彦さん ;

 

2.寝る暇もないほど繁盛!屋台最盛期を迎えたころ

▲どて焼きの鍋を懐かしそうに見やりながら
屋台時代の思い出を語るきよ子さん

 

当時のきむらやの営業時間はあってないようなもの。
毎日始発の時間まで営業し、昼過ぎには仕入れを終えて屋台を組み立てていたというから、寝る暇もないほどだ。

そんな忙しさを支えてくれたのが常連客との触れ合いだった。

「クリスマスにはお客さんが持ってくるケーキがあふれ返ったもんさ。みーんな三角帽をかぶって幸せそうだったね」。

うれしそうに当時を振り返るきよ子さん。当時の客は長者町繊維街の旦那衆が多く、近辺に7軒あったキャバレーの女性と共に飲み明かすことも珍しくなかったとか。

昭和20年代、18歳のころからの常連だという杉浦銀三さんもこう言う。

「当時は長者町で丁稚奉公中でね。飲み食いしたいけど旦那衆みたいに金がない。皿に残った串の数で勘定するから、
親父さんの目を盗んでは串を捨ててたよ。それがばれても笑って済ませてくれたものさ」。

そんな先代の人柄にほれて通った客も多かったとか。

「店のはやり廃りは、店主の人間性に困るところが大。客層も自然に決まるもの」と2代目の定彦さんが言葉を重ねる。

 

3.きむらやから島正へ。変わらぬはもてなしの心

きむらやが転機を迎えたのは昭和35年(1960)。新国劇の看板役者・島田正吾氏がこの店を気に入り、新国劇のマークにサインをした暖簾を贈ってくれた時だ。

地面に届くほど長かったこの暖簾は、きむらやのもう一つの旗印となった。

やがて客は暖簾を称し「島正の店へ行こう」と言い合うことに。
きむらやという名はしだいに有名無実となり、「客が呼ぶのなら」と店名を島正に改めたのだった。

昭和38年(1963)、屋台が全面廃止となったあとは店舗を構えたが、客との触れ合いを重視してカウンター席しか設けなかった。現在のどて焼きも屋台時代と変わらない。が、

「昔はそれほどいい素材がなかったはず。当時のものをこの場にもってきても旨くないでしょ。嗜好も変わったはずだし、味付けは微妙に変えてるよ」と定彦さん。

確かに「伝統の味を守る」というと聞こえはいいが、客との会話を大切にし、変わらないようでいて進化する。
きょうも客が押し寄せる島正には、最も大切な「もてなし」という心が引き継がれていた。

 

島田 正吾 サイン

 

【当店「島正」の由来となった、新国劇俳優 島田 正吾 さんについて】

島田 正吾 さんは、戦後の日本において演劇の中心となった劇団「新国劇」の中心的俳優として活躍されました。

代表作としては、演劇『関の弥太ッぺ』『瞼の母』『一本刀土俵入』などの股旅物(またたびもの)をはじめ、『霧の音』『ビルマの竪琴』など現代劇などを演じ、NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年(昭和48年))、連続テレビ小説『ひらり』(1992年(平成4年))などテレビドラマにも多数出演されました。

生前は晩年にいたるまで、『役者』であることに尽くされた、日本の俳優史に残る名優のお一人として、今も多くの方々に慕われています。

>>『島田 正吾』さんについての詳細はこちらからどうぞ

 

3.きむらやから島正へ。変わらぬはもてなしの心

 

3.きむらやから島正へ。変わらぬはもてなしの心